あけましておめでとうございます


更新が遅くなってしまいました。申し訳ございません。
なお例年通り、年賀状の発送はこの更新をもってかえさせていただきます。

いよいよ本当に年賀状サイトになってしまいましたが、ほかの人のはすでに閉鎖されている状態で、このサイトだけ続いている。不思議です。おそらく誰も見ていないので更新する意味もあまりないのかもしれませんが……。

思えば高校の時に始めてから、普段やってることも住む場所もいろいろ変わっていて、一緒に住む人も4人だったのが2人になったり、なんだかんだ言って月日は去り人は変わっていくものだなあと思います。

ともかく今年もよろしくお願いいたします。

 あけましておめでとうございます


年賀状の発送はこのブログの更新を以って代えさせていただきます。


…っていうかマジでこのブログの存在意義が年賀状の代わりになるということだけになってしまっているんですが、そうしてなんだかんだ8、9年も続いていっているというのもすごいですね。最近は寄稿記事もろくに書けていないような状況なんですが、少しずつでも書いていきたいですね。


というわけで今年もよろしくお願いいたします。

 別のブログで記事を寄稿しています

twitterのほうでは散々告知だのしているのですが、こっちではまだしていないので。


ブログマガジン MOGAKU



私は現在のところ木曜担当で、本とか飲食についての記事を主に寄稿しております。お暇ならどうぞ。



ところで、こちらのブログとの棲み分けなんですけど、どうしたもんですかね…へたくそな小説でもアップすればいいのか…書いてないけど…。

 あけましておめでとうございます


新年の挨拶はこのブログの更新を以ってかえさせていただきます。


また更新しない年になってしまいました。twitterですら微妙な感じに。恐ろしいですね労働ってのは。


本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

 アニメの気合エンド


近頃アニメはとんと見なくなってしまったんですが、今期はノイタミナの「残響のテロル」だけ毎週楽しみに見ておりまして、生きるのが多少つらくなくなっております。見れる分だけ追うのはとても楽しいですね。

ところで、その「残響のテロル」のノイタミナ枠でセットになっているのが、以前放映しておりましたディストピアものアニメ「PSYCHO-PASS」でして、これは私の分類では気合エンドアニメとなっています。気合エンドってのは要するに「俺たちの戦いはこれからだ!」的終わり方をしているもので、問題の根本がまったく解決しないまま終わるのがその特徴です。サイコパスも最後までシビュラシステムありますし壊れないからね。

気合エンドの敵はおおむね具体的なものや人や価値観ではなく、「システム」としか言いようのないものです。実は残響のテロルもそうなんじゃないかと思うんですが、まあよい。

私がそう見ているからそう見えるんだといわれたらもう何も言い返せないんですけど、なんというかそういう終わり方をしている話が最近多いような気がしますね。めでたしめでたし型の話が最早通用しなくなっているというか。まどマギフラクタルあたりからずっとそういう印象を抱いております。震災以後って言うとかっこいいか。震災みたいな天災、運命のようなものには、勝てる。勝てなくても、耐えられる。けど、人間の理性が作ったシステムには、構造的に勝てないし、耐えるのも難しい、みたいな。

もっとちゃんと考えないとだめだとは思いますね。残響のテロル見てるときに書いてみよう。

 この前の日本選手権

こっそり書いておきます。ちなみに結果を先に書いておきますと、同2−3−2−同1で10.5点予選落ちです。微妙。


1回戦
地下貯蔵庫、蝋燭職人、工房、村、改築、泥棒、伝令官、市場、鉱山、熟練工

二番手。これは「最初のゲーム」ですね、ということで工房−改築。引ききり狙い。
屋敷の廃棄が少し遅れた。あとは購入を入れてなかった。一番手の熟練工ステロが早くて、泥棒をさして落としにかかるもあんまりうまくいかず、改築銀スタートだった別の人の金貨を盗みまくる。その人はめちゃめちゃ沈んでた。すまん。
結局7金病も特に発病してなかったステロが一位。同じような引ききりデッキを組んでた4番手の人と同着。
自分も引ききりだったのに4番手の方つい煽ってしまってほんとに申し訳ありませんでした。
どこかで少なくとも蝋燭職人を入れなければならなかったし、そのタイミングは明確にあった。地下貯蔵庫がだぶついていた。少なくとも単独2位にはなれてもおかしくなかった。反省。



2回戦
石工、村、医者、玉座の間、祝宴、収税吏、助言者、伝令官、祝祭、商人ギルド

名前を見たことがある人たちとなんかどっかで見たようなサプライで対戦。
一番手祝宴−銀スタートで、浮気せず商人ギルドステロすればよかったものを途中祝祭を入れるなどして3位。4位の人は強豪の方だったが運が悪かった様子。その後立て直して予選を突破していた。すごい。
練習してない手を本番でいきなりやっても無理ですね。多分どこかのタイミングで伝令官7金できる場面があった気がするが、それも見逃し。



3回戦
石工、蝋燭職人、木こり、工房、名品、庭園、役人、議事堂、商人ギルド、予言者

一番手。これは議事堂名品ですね、途中2枚カットして3−3−4、一枚3点換算で12点、属州3〜4枚+αでいけるでしょう、という算段。だが銀−役人ではいる。庭園を断ち切れなかったのか。いや、手が広いと思って取ったんですが、そんなことをしてるヒマはなかった。銀銀でよかったのかな。あと二人は工房2とかの庭園ルート。一人5−2の人がいて、その人は預言者(!)。
しかし勝ったのは結局預言者の人だったのだから恐れ入る。こちらもそもそも構築があんまりうまくいってなくて、役人で変な感じになって、途中議事堂が沈んだり、7金が2、3回連続するなどしていた。庭園カットも一枚のみ。工房庭園側も微妙な感じ。その間隙を縫った格好か。
庭園の人の点数は想定どおり20点ちょっとという感じで、自分の点数もそのくらいになってしまって2位。属州二枚じゃ勝てませんね。一位の人は主に公領集めて27点。俺が下手だった。ここで予選敗退確定。
面白かったのは、最後デッキの数を数えてみたら自分のデッキが一番枚数多かったことですかね。名品すごい。勝つ気あったのかな・・・。


4回戦
地下貯蔵庫、名品、改築、金貸し、玉座の間、広場、熟練工、肉屋、パン屋、予言者

もはや一位をとる以外のモチベーションがない状態でのスタート。なんとこれも一番手。手番に恵まれている。ま、恵まれてもこの程度だということが俺の実力を証左している。
2−5スタート。肉屋ステロは練習してない(アカン)。ということで手は熟練工ステロですが、銀−熟練工か?それとも地下貯蔵庫−金貨か?ということで悩む。前者だと3ターン目に熟練工が来るとものすごく早いが、4ターン目だとシャッフルが入り、底に沈むと金貨が変えない確率が跳ね上がる。後者は地下貯蔵庫がステロの邪魔だが、ほぼ確実にデッキに金−熟練工−銀が入る(出来ないのは両底の場合のみ)。うーん・・・。
結論から書くと、今回は後者を選んで、まあ大体事故も起こさず(むしろ地下貯蔵庫は結構働いていた)31点同着一位。もう一人の一位はパン屋−肉屋。銀−熟練工から入った人がもう一人いて、その人は3位。ターン数は同じ。なるほど。しかしどちらが良いのか、家帰ってからも何回かまわしてみたが結論がつかない。金貨から入ると大体14ターン30点くらい。識者の人教えてくだされ…。


全体的に振り返って、かなり運には恵まれていたものの、実力が追いついていなかった。ひどい話だ。精進したい。
自分は某大久保の強豪サークルにも各大学のサークルにもGokoにもあんまり関わらないできたが、やはりネドミの、しかも一人回しばかりやっているネクラっぽい状況では実力が全然身につかないことは改めて実感した。せめて対人戦を、欲を言えばいろいろ検討したりするような環境でやらなきゃ実力なんかつきません。ブログにも何も書いてないしね。
野良試合も増やしていこうかと思います。某サークルにもなんとなく無名の人として参加して情報を取っていきたいですね。仲良くなるのはいいなあと思うんですけどね。なんとなく。

みなさん機会があったらできるだけお手合わせをお願いします。ということで。

 弱者たちの権威主義

権威に訴える論証

権威に訴える論証は、ふつうの使われ方のほかに、もっと別な使われ方もあると思う。権威の論証を裏返して使うやり方だ。


■→□

権威に訴える論証は以下のような形をしている。


Aさんが B と主張する。
Aさんに関して何らかのポジティブな面がある。
したがって、B という主張は真である。


こうやって提示されるとほんとクソみたいな論証だ。それはさておき、これを逆用してみる。
逆用のはじめの一歩として、この論証自体をK(権威のKね)とおこう。するとこういう論証ができる。


Kは権威に訴える論証である。
権威に訴える論証は偽である。
したがって、Kは偽である。


この論証自体は論理的に正しい。よって、Kは中身の如何を問わず論理的に否定される。Aさんや主張Bがどのようなものかは関係ない。
この中身を度外視した「K」の否定が逆用の鍵だ。つまり、Bがどのような主張であれ、「AさんがBと主張」し、「Aさんに関して何らかのポジティブな面があ」れば、Bは偽であるというようにできるのだ。これは早い話がポジショントークである。


□→■
論理学の重要なルールのひとつに、命題の内容如何は問わないというものがある。


アババババはゲンゲルである。
ゲンゲルはエーバババである。
したがって、アババババはエーバババである。


という論証は、内容はさっぱりわからないが、論理的である。A=B、B=C、∴A=Cときちんと形式にのっとっている。逆に、


トイプードルは動物である。
チワワは動物である。
したがって、犬は動物である。


という論証は、内容は正しいが、論理的ではない。論理的に正しいかどうかと内容の如何は別問題である。
上の権威に訴えた論証はこの内容を問わない論理の性質を利用していると考えられる。「権威に訴える論証」として認定された時点で、その論証の中身自体はKとして吸収され、省みられることはなくなる。そして権威に訴える論証として認定するには、究極的には「Aさんに関して何らかのポジティブな面があ」れば十分なのだ。内容如何は問われず、かつ使用する条件は緩い。ポジショントークが「最強」なのはこういう事情があるからだ。


■→□

どんな議論にも応用できる「最強」の論証法などありはしない。あったとしたらそれは間違っている。ポジショントークが行っているのは主張の虐殺であり、他者理解の拒否である。もちろんクソみたいなことを言うやつはたくさんいるし、それを権威に訴える論証でおしつけてくるやつは聳え立つクソだ。でも、その反論にポジショントークを行えば、相手とまったく同じ間違った論証方式を採用することになる。気に入らないやつは無視してもいい。対面しているなら最終的には殴ったっていい。ただ、口喧嘩や悪口で相手をやっつけたいと思うなら、ポジショントークだけはしないほうがいい。簡単に使えてどんな奴でもやっつけられる万能の武器を夢見るのは、地味な個別の対処をしない、面倒くさがりの弱い奴だけなのだから。

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追記 14/5/5

「権威に訴える論証は偽である」というのは内容的に正しくない。権威に訴える論証は単に論証法として妥当じゃないだけで、べつに偽ではない。一番問題なのはここだったのかもしれない。