夏の印画紙



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あいつか?

ああ 知っている

話せば長い

そう 古い話だ


知ってるか?

田舎の海水浴場に来る女性は3つに分けられる

彼氏がいる奴

オバサン

幼女

この3つだ

あいつは―


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8〜13日は実は母親の実家に帰省していたのであるが、その間に海水浴に行ってきた。その日は絶好の海水浴日和であった。ギラギラと太陽がさし、青い空、白い雲、日本列島には台風が近づき、地震によって高速道路が崩壊していた。まったくもって海水浴にふさわしい一日であった。


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海なんてもう5年ぶりである。日焼け止めを腕と背中にずさんに塗り、私は海へ入った。すげー冷たい。鳥肌が立った。空は青いが、海は海藻だらけで濁っていて青くない。サルガッソー海みたいなところである。地元の人間(ジモピー)は、男友達と楽しそうに遊んだり、女友達と楽しそうに遊んだり、それぞれのグループが出会って楽しそうに遊んだりしている。私はといえば、親戚の小学生3人と弟の子守である。ときどき海藻を頭に乗っけたまま水で強襲してくるので始末が悪い。

なんなんだ?一体この差はなんなんだ?そんなに俺は悪いことをしたのか?いつになったら浮気な夏は俺の肩に手をかけるのか?いつになったら胸キュンできるのか?胸キュンが来たとしても、それは肥満からくる狭心症ないし心筋梗塞の前兆ではないのか?人間ドックが必要なのか?やはり深夜にポテトチップどか食いは止めたほうがいいのか?そうすればこのみっともない腹も引っ込むのだろうか?


みんなに砂に埋められている間も、小学生と一緒に掘った落とし穴を海藻でカモフラージュしている間も疑問は尽きなかった。


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まぁそうは言っても、やはり去年までのクーラーのせいで夏は冷たく冬は熱いとかいうちょっとしたオーストラリアみたいな環境で強制労働に従事している社会的無職の状況よりはいくらかマシである。田舎の海水浴場にも若い水着の女性はごく稀に存在するからだ(大体男といる)。そして私はそれを眺める。そこで一個のさわやかな感情が起こる。女性の方々に誤解しないでいただきたいのであるが、別に男はエロスを求めて女性を見るわけではないのである。大体そんないちいちエロのことなんて考えてられないし、エロからほど遠い容姿の女性だって男性は見るのである。ここら辺の心理は説明するのが難しいのであるが、思うにそれは茶柱を見るときのそれに近い。茶柱が現れる。人はそれを見て、「お」と思う。別段幸福になるわけでもない。見たから何か得になるわけでもない。だが人はそれに目が行くのである。そういうものだと思っていただきたい。


だから仮に視線が胸ばかりに行っていたとしても、それはエロスと何もかかわりがないのだ。絶対そうだ。


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というわけで、ひとしきり小学生の面倒を見た後は浮き輪の上にのってぷかぷか浮きながら茶柱のプロポーションを眺めたりしていたのであるが、一人だけ非常に目を引く女性がいた。際立ってスタイルが良いのである。観察すると、近くを通りがかった野郎どもはみんな彼女に視線を向けている。皆茶柱の風流を理解する典雅な人々であったのだ。いままで友達ときているからという理由だけで「全身に軽度の火傷を負ってしまえ」とか「俺の掘った落とし穴に落ちて全治二週間の捻挫をしろ」とか思っていてすまなかった。私は少しだけ彼らと分かりあえた気がした。

しかし、その女性に話しかける人はいない。不思議に思ったが、なぞはすぐに解けた。その女性はしばらく一人で海にはいっていたのであるが、ほどなくするとスキンヘッドのおっさんが近寄ってきて、彼女と遊び始めたのである。どうやら父親らしい。スキンヘッドは強い。頭に軽度の火傷を負ってしまえ、と私は思った。


私に浮気な夏はまだこないようである。


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次の日の朝、日焼け止めを塗り忘れたのだろうか、肩だけが真っ赤になっていた。私は言いたい。浮気な夏よ、私が言ったのはそういう意味ではないのだ。