赤子の可愛さについて

我が家に赤ちゃんが来て二ヶ月ほど経った。大変である。いや、こう言うと、お前が何を大変なことがあるのだとか、配偶者の方がよほど大変なのに何を言っているのだとか、今まで通り働いてるのにちょっと追加になっただけでそんなに言うなんて実に気楽なもんだ、猛省しろ、などなど、様々に言われそうである。慌てて付け加えるなら、これは当社比です。

ともかく赤子である。可愛いかどうかでいうと、大変可愛い。ここで思い出すのは、子供が生まれてやたらめったら人に我が子の写真を見せまわってはしゃぐ新米パパママのことで、幸か不幸か自分は最近人とほぼ会わないので別にそうではないのだが、そうした行動をするのはなぜかと言うことである。もっと言うと、そうして見せられる赤子が大概可愛くないのもなぜかと言うことである。正直言っていまだに他人の赤子はそれほど可愛いと思わない。友達に子供が生まれた人は全くいないし、会社の人や親戚にもそうした写真閲覧強要マンはいないが、SNSやらテレビやらで見かける赤子を見てもフーンとしか思わない。子供ができたからと言って、赤子が無条件で可愛いと認知を書き換えられる訳でもないようだ。

いや、「他人の赤子は可愛いと思わない」というのは、実際にはいささか語弊がある。可愛い赤ちゃんは、いる。目がぱっちりして、造作が整い、こりゃ可愛い、という子はいなくはない。オムツCMに出てくるような赤子である。翻って自宅にいる赤ちゃんを見ると、例えば自信を持ってテレビカメラの前に送り出し「うちの子が世界一可愛い!」と言えるほど顔が可愛いのか、と問われたら、ウーン、となってしまう。いや、ウーンと唸った挙句に「言える」と叫んで送り出す可能性はある(親バカ)。でも逡巡はすると思う。つまりもっと可愛い赤ちゃんがこの世に存在する可能性は相当程度認めたくなると思う。

ではなんでそれでも可愛いと思うんだろうか。暮らしてみて何となく思ったのは、赤子が可愛いのは、表情なども含めた動きが可愛いのだと思う。世話をして笑ったり泣いたりの反応が返ってきたり、安らかに寝ていると思ったら途中で不意にビクッとなったり、あるいは親の顔をジッと見つめていたかと思うと不意にニッコリしてみたり。写真で見せてもそういう動きは伝わらない。写真から分かるのは、赤ちゃんの顔の造形とその表情、その時何をやっているか、残りはまあその時の周りの背景状況くらいの、断片的な情報である。もちろんそれをみて、自分で文脈を補完して、「可愛い!」という人はたくさんいるだろう。特に自分で既に育児の経験がある人なんかは、自分の体験を思い出すこともできるし、そこまで明示的でなくてもなんとなくその時の感情を思い起こすことだってあるだろう。でもそうでない人は、可愛いかどうかの判断は、顔と表情である。ここまでくるとアイドルの写真を見るのとそう変わらない。赤子一般の顔の可愛さというのはあると思うが、それだって評価するのは人それぞれだ。そうすると見せられた赤ちゃんの写真をそんなに可愛いと思わないなんてざらにあるだろう。何しろ顔がいい人なんてそう多くないんだから。

赤ちゃんの可愛さは、犬や猫のもつ可愛さと少し似ていると思う。どちらも言葉でコミュニケーションできないが、ふとした行動や表情で意図や気持ちが伝わってきたりして、それが分かると「可愛い」と思う。それは顔の造形とは全く関係がない。犬や猫も美犬や美猫などはいるが、全部の犬猫がそうではないし、別に美犬美猫じゃなくたって可愛い時は可愛い。飼い犬飼い猫なら尚更だ。赤ちゃんも、例えば、動画などでそうしたところが収録されているのを見せられたら可愛いと思う率も上がるかもしれない。犬や猫と違って人間だし、その赤ちゃんの親との関係性や親の印象にだって左右されるから一概には言えないが、少なくとも写真よりはマシそうだ。

さて、当然、これは他人の赤ちゃんについての話で、自分の赤ちゃんについては(繰り返しになるが)当たり前のように可愛いと思う。写真は、もちろん他の人に見せるのも一興だが、見せる相手としてもっとも重要なのは多分未来の自分なのだろう。どんな風に成長していくのか、今の写真を未来にどのように見返すことになるのか、楽しみだ。(親っぽく締めてみました。)