便意をめぐる冒険


アメトーク「OPP芸人」に出たかったやつちょっと来い

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東西線の電車で便意を催して遅刻した。


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これで今季早くも3回目である。何を隠そう、私はOPPである。私には便秘の気持ちがわからぬ。波に乗り、波に飲み込まれながら修羅場をくぐってきた。便意の兆候には人一番敏感である。強冷房や緊張は地獄の火の中に投げ込むべきものだと思っている。

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こういう話をすると、やれきたないだとか、やれいい大人のくせにとかいう輩がいる。大間違いである。人間が煩悩を完全に捨て切れる状況などほとんどないが、便意を我慢している時はその数少ない一瞬間である。また、便意は創造力を開花させる。創造力とは一般に命に別条のない危機に陥った時に現実逃避として働きやすいが(例:テスト前)、便意はそのような状況の一つである。

ここまで説明してもわからない人のために、OPPの心理をよく描いた作品を紹介したい。夏目漱石草枕」である。

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この有名な作品の冒頭はこのようになっている。


山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角(かど)が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る


作者はなぜわざわざ山道を登りながらこんな事を考えているのだろうか。折角山道を登っているのだから、周りの景色等を楽しめばよいのではないか。

そうではない。出来ないのである。なぜか。便意を我慢しているからである。こんな風な哲学的思想にふけるのは便意を我慢している者によく見受けられる。その内容も、明らかに便意を我慢している。一文ずつ読み解いていく。



山路を登りながら、こう考えた。(上記)
智に働けば角が立つ。 (我慢しようとして知性を働かすと逆効果になる)
情に棹させば流される。 (感情に素直になってしまうとブツが流れ出して大惨事)
意地を通せば窮屈だ。  (意地でも我慢すると途轍もない腹痛に襲われなければならない)
とかくに人の世は住みにくい。 (なぜ大津波の時に限ってトイレが埋まっているのか、なぜようやく駆け込んだ駅のトイレに紙がないのか)
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。 (どこかにいつでもどこでも安心して催せる国はないものか)
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る (そんな国ねーよ…→つくっちゃえばいいじゃん!)



恐ろしいぐらいに的確な描写ではないか!もしかしたら、漱石が晩年に志向したとされる「則天去私」の境地とは「自然と一体になっていつでもどこでも排便できる境地」というものなのかもしれない。だとしたら、便意は人間の根本思想にまで影響を与えるということになるだろう。この解釈が現在の漱石理解に一石を投じるのは間違いない。いずれCiNii(サイニィ:国内最大級の論文掲載データベース)に「漱石便意―――腹痛の系譜学」みたいな論文が掲載される日が来ることを私は確信している。


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やばい、オチがない。

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ちょうどよいことに便意が来たので、今日はこれで。

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