「持続可能なブログ」というものは存在するだろうか。

「持続可能な社会」という概念があるがどういうものだかしらない。適当に推測するに、多分資源の循環とか、そういう感じだろう。消費するだけじゃなくて、消費→生産のサイクルを作れと。でもブログでは難しいんじゃなかろうか。ブログの記事を作るとき、単純に一つのネタを消費すると考えると、消費→生産のサイクルとはつまりブログの記事についてのブログの記事についての…という循環になる。誰が読むんだ。俺は読まない。


サイクルができないとすれば、ネタを使いまわす方法だ。新しいネタなんぞ限られている。限られた要素からネタを無限に生成する方法がいる。それで参考になるのが新書を大量に出す人で、この手の人はネタの使い回しをうまいことやって新書を多く出している。一言で言うと細かいネタの組み合わせ論で、1−2−3というネタを2−1−3とやって新しいネタ一丁あがり、という感じ。新しい細かいネタを織り交ぜればもっと良い。実際はこんな単純じゃないだろうけれども、原理的にはこれだと思う。細かいネタでいいので新しいものも準備しやすい。すくなくとも一から考えるよりはマシ。


ボルヘスがベックフォードのヴァセックについて語った短いエッセイの中で、伝記作家について少し書いている。一人の、例えばミケランジェロの伝記を書くとして、ミケランジェロの人生を事実の列からなる一本の線だと考え、線を構成する事実にそれぞれ1,2…と数字を振っていく。気の遠くなる数字だが、それは有限であるはずだ、と考えることもできる(ココが間違えてるんだと思う)。さて伝記を書くことを、その数字が振られた事実をある順番で記述していくとすると、事実の数よりもはるかに多いミケランジェロの伝記が生成できる。単純に全ての事実を網羅すると考えても、事実の数が(a)なら伝記の数は(a!)になる。もちろん筋が通らない組み合わせもあるだろうが、ある事実を記述しないという選択も可能だろうから、結局無数の伝記が可能であることに違いはない。この発想をブログのネタに応用すると多分新書マンどもがやってるメソッドに近くなるんだろう。もちろんそれが面白いかどうかは別の話です。


日々やったことを面白おかしく書いたり、映画や本の評をすれば原理的にはずっと書ける。日記の在り方としてはそれが正しいんだろうと思う。そもそも、「人を楽しませる日記」というのも変な話で、それってたんに毎日新作が出る面白エッセイってことで別に日記ではなくないか。困ったことにこの話は実際に読んで面白いが日記としか言いようのないものがあることによってどんどん複雑になってくる。


知人の書いたまとまった文章を読むのは楽しいので、泡沫ブログであるところのわれわれはさしあたりそれを目的とする方が良いのかもしれない。

みんなブログ書けよ。