アニメの気合エンド


近頃アニメはとんと見なくなってしまったんですが、今期はノイタミナの「残響のテロル」だけ毎週楽しみに見ておりまして、生きるのが多少つらくなくなっております。見れる分だけ追うのはとても楽しいですね。

ところで、その「残響のテロル」のノイタミナ枠でセットになっているのが、以前放映しておりましたディストピアものアニメ「PSYCHO-PASS」でして、これは私の分類では気合エンドアニメとなっています。気合エンドってのは要するに「俺たちの戦いはこれからだ!」的終わり方をしているもので、問題の根本がまったく解決しないまま終わるのがその特徴です。サイコパスも最後までシビュラシステムありますし壊れないからね。

気合エンドの敵はおおむね具体的なものや人や価値観ではなく、「システム」としか言いようのないものです。実は残響のテロルもそうなんじゃないかと思うんですが、まあよい。

私がそう見ているからそう見えるんだといわれたらもう何も言い返せないんですけど、なんというかそういう終わり方をしている話が最近多いような気がしますね。めでたしめでたし型の話が最早通用しなくなっているというか。まどマギフラクタルあたりからずっとそういう印象を抱いております。震災以後って言うとかっこいいか。震災みたいな天災、運命のようなものには、勝てる。勝てなくても、耐えられる。けど、人間の理性が作ったシステムには、構造的に勝てないし、耐えるのも難しい、みたいな。

もっとちゃんと考えないとだめだとは思いますね。残響のテロル見てるときに書いてみよう。